私は小さい頃からゲームが大好きで、小学生の頃なんかは朝から晩までやり続けて、親に嫌味を言われたことがあるのは1度や2度ではありません。
30代後半になった今でも、楽しくゲームをしています。
そんな私はゲームの2ちゃんねるを見ます。そこでたびたび議題に挙がるのが冒頭の部分のような話です。
極めるくらいゲームをプレイすることは意味ないのか、私が経験して、考えて出した答えについてお話します。
私が出した結論は、意味なんて自分で決めてもいいということです。
ゲームに限らず全く同じことをしていても、意味あると感じる人もいれば、意味ないと感じる人もいます。
他人にとっては、取ってつけたような理由だったり、こじつけに感じるような理由でも、本人がそれで楽しい・幸せだと感じているのなら良いと思います。
ゲームに全く興味のない人からすれば、ゲームを極めることに何の意味もないどころか、愚かなことだとすら思うかもしれません。
ですが、私にとっては極めた人のプレイは、見ていて面白いですし、きっと本人も楽しいと思います。
私は以前、『鉄拳4』というゲームが大好きで、暇さえあればずーーっとやっていました。
全キャラの全ての10連コンボ(知らない人ごめんなさい…)を覚え、友達と勝負しては勝利を重ねていました。と言っても、ゲームが好きな友達が少なかったので、対戦相手は1人しかいなかったのですが…。
『鉄拳4』だけに限らず、『初代スマブラ』『私立ジャスティス学園』もやり込んでいました。
『私立ジャスティス学園』に関しては、コンピューターと対戦するのに飽きて、ゲーセンで人に対戦しまくって勝利を重ねていました。
それくらいやりまくっていたのですが、意味ないと思ったことは一度もありませんでしたね。
何も考えず、のほほんとした学生生活を送っていたからというのもあると思いますが、やっぱり時間を無駄にしたと感じる以上に、楽しいと思う気持ちが強かったからかもしれません。
ゲームを極めても意味ないと思うのか、楽しいと思えたんだから自分にとっては意味があると思うのかは、自分で決めても良いと思います。
私はゲームを長時間やったとき、後悔するときと後悔しないときがあります。少し前までは、その違いについて深く考えたことがなくて、「気分かなぁ」なんて考えてました。
ですが、最近気が付きました。
後悔するときはやりたいこと・やるべきことをほったらかしにした時だと。
やらないといけない仕事を放ってゲームに没頭した時は、これからやらないといけない仕事を見てやる前から疲労を感じていました。
逆に、「今日は休みだ!」という日に、楽しくプレイしていたら充実感しかありませんでした。
もしかしたら、ゲームを極めるのは意味ないと思うのではないかと思います。
学生ならちゃんと宿題をするというように、やりたいこと・やるべきことをしっかりやっておくと良いかもしれませんね。
一昔前に比べてゲームが世間に認められつつあります。
プロゲーマーとして生計を立てている人もいますし、ゲームの腕はそこまですごくなくても、You Tubeのゲーム実況で人気になって生活している人もいます。
極めた人のプレイというのは、そこまで興味のない人が見ても面白いと感じるものです。
例えば、スポーツでも、実際にやったことがない人も見ることがありますよね。野球をしていなかった人も野球観戦が好きな人もいれば、サッカーをしていなくてもサッカー観戦が好きな人もいます。
誰もが知っているようなタイトルのゲームであれば、それを極めて動画にするのも良いかもしれません。
そのゲームをプレイしている人、興味のある人が楽しく見てくれる可能性があります。
ただ、ゲームで生計を立てようと思ったら、それ相応の努力も必要になります。ゲームで強くなるためにはどんな練習が良いのか、色々な視点で考えてみたり。
You Tubeをするにしても、登録者数や再生数の伸ばし方などを勉強する必要があります。
大変ではあるものの、今後どうやっていくのかで極めることの意味が変わってくると思います。
色々言いましたが、結論としては意味あるかないかは自分で決めても良いと思います。
第三者が「そんなの意味ないよ」と言っても、それはあくまでその人の意見や感覚であってあなた自身の意見ではありませんから。
誰が何と言ようと、あなたが意味あると思えば意味がありますし、意味がないと思えば意味がないのです。
他人の意見は置いておいて、自分はどう思うのかだけに注目してみてください。
ゲームを”卒業”した
ゲームをやめたことで大人になったんだよ
ゲームをやっている人は精神年齢が低い