自分のことを嫌いすぎる私が嫌いなまま受け入れられるようになったお話

自分 嫌い すぎるメンタルに良いこと
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「自分のことを嫌いすぎる…」と思うようになったのは、ここ数年のことです。

その前は少し嫌いくらいだったのですが、自分のことを好きになったり嫌いになったりを行ったり来たりしていました。そんなある時、気が付けば嫌いすぎるというところから動かなくなっていました。

ですが、色々考えていくことで、『少し嫌い…だけど受け入れてはいる』くらいで済むようになりました。

なので、この記事では、自分のことを好きになろうとか、好きになる方法とはなんて言うつもりはありません。

というのも私自身、自分のことを嫌いすぎる時期は、「自分のことを好きになろう」「克服する方法」とか聞くと「そういう努力できたら、そもそも嫌いにならねーよ!」と思っていました。

それに「原因は~」とか「特徴は~」みたいな話も、正直どうでもいいと思いました。

ここでは、私の体験談をベースに話をするため、便宜上私が自分のことを嫌いになった原因についてお話しますが、あくまで私の話です。

肩の力を抜いて読みつつ、「自分もやってみよう!」と思えることがあったなら、それをやってみてください。

私が自分のことを嫌いになった原因

私が「自分のことを嫌いすぎる!」と思うようになったきっかけは、仕事にあります。

私は基本的に仕事をする時間を無駄…というか、お金を稼ぐ手段だと考えています。なので、基本的に仕事に対してやる気はほとんどなく、できることならやりたくないものです。

そんな考え方なのですから、仕事ができない+仕事に対してやる気もない、というより、やる気がないから仕事ができないのか…。

仕事ができないからやる気も出ない…楽しくもない、そんな悪循環に陥ってしました。今もですが。

ただ、よくよく考えていくと、矛盾していることに気が付きました。

元々仕事に対する情熱のようなものはほぼ皆無なのだから、仕事ができないことで自分を嫌いになることはないのではないか?と。

将棋に全く興味のない人が「将棋弱いな」と言われたところで、ノーダメージだと思うのです。ましてや、いちいち自分を嫌いすぎる…なんてことになることもないでしょう。

じゃあ、なんで私は嫌いすぎる…というところまで落ちてしまったのか、その原因について考えてみると、自分では気が付かなかった自分がいました。

本心では、もっと仕事ができるようになりたい、ならないといけないと思っていたのです。

この矛盾を抱えていたから、仕事ができないことで自分のことを嫌いになっていたんだと気が付きました。

自分のことを知るようにした

自分を知る

「自分のことが嫌いすぎる」時期は、ちょっとしたことで心が折れたり、すぐに感情的になったり、人の言葉をネガティブに捉えてしまったり、色々困っていました。

実際には、困っているという表現では表し切れないくらい辛かったです。人に迷惑をかけたり、自分なんて消えてしまえば良いのに!と本気で思ったり。

その時期、怒りを抑える方法、自分を好きになる方法のような本を読み漁っていたのですが、冒頭でも言ったように、「自分は自分として生きてはいけない」「努力しない人は生きる資格がない」と言われている気持ちになりました。

かと言って、そのままの自分を受け入れよう!みたいな本を読んでも、「現状で困っているんだから、そのままでいいわけあるか!」という気持ちになったり…。

ある時、自分のことを知ろうみたいなことが書かれている本を読み、自分について色々考えてみました。

そうして分かったことは、自分ではもっと自分のことを理解していると思っていたのに、実際は全然分かっていなかったんだなということです。

上でも言ったように、この時に初めて自分は仕事をできるようになりたい気持ちがあることに気が付いたのです。

この時、自分がどうして仕事に対してのやる気が出ないのか、仕事の中で好きなこと・嫌いなことは何かなどが分かりました。

こうして、自分について色々知るように考えるだけでも、自分を許せるようになってきました。

そもそも、自分は嫌いになるほど自分を知らなかったんだなぁということが分かりました。

自分と向き合うのは怖い

自分のことを知るようにしたと言いましたが、自分と向き合うための道のりは決して楽ではありませんでした。

簡単に言うと、自分のことを考えようとするとストッパーがかかっていました。例えば、少し考えてはボーっとしてしまったり、無性にイライラしたり。

自分の嫌いな部分を知ることが怖かったのだと思います。

自分の嫌なところを見てしまうと、もっと自分のことを嫌いになってしまうのではないか、精神が持たないんじゃないかと。

実際、最初はすごくショックな気付きもたくさんありました。

今やっている仕事に対して、やりがいを感じていて、この先上手くいけば収入に期待できる…、と思いつつも、自分にはできないのではないかと不安に感じていました。

自分にはできないと思っていることを自覚した時、すごくショックを受けました。

これまでは、できない自分を隠しながら、何となく大丈夫だと信じて生きていましたから。

ですが、最初こそショックを受けましたが、時間が経つにつれそれを受け入れていくことができ、「じゃあどうすれば仕事にやる気を出せるのか」と考えられるようになりました。

何でも許される世界でも嫌いになるのか考えた

何でも許される

仕事のことを始め、自分で自分のことを許せないと思う部分はたくさんあります。

例えば、「好きな時に好きなことして生活したい。そのために人が苦労してもいい」と思っている自分とか。そう思っている自分を知った時、自分のことをすごく嫌な人だと思いました。

これで自分のことをさらに嫌いになってしまったという話を、身近な人にしたところ、「一度何でも許されると想定して考えてみたら良いよ」というアドバイスをもらいました。

私の例で言うと、自分のしたいことのために人を犠牲にしても良いと思っていることが許される、そんな世界です。

そうやって考えてみた時、フッと心が軽くなるように感じました。

自分を嫌うのは守るため

この経験から分かったことは、自分を嫌いになるのは自分を守るためだったということです。

メンタルヘルスや自己啓発系の本には、「不安や恐怖などのネガティブな感情は、身(心)を守るため」とよく書かれています。

理屈では分かっているつもりでしたが、何でも許される世界を想像してみた時、身をもって体験できたように思います。

というのも、心が軽くなったのは自分を許しても良いと思えたからです。

自分を許せないとか、自分を嫌いすぎるという気持ちを深く考えた時に見えてきたのは、こんな気持ちでした。

「どうにかしたいと思っている」
「どうにもできない」
「それが自分なんだから受け入れて欲しい」
「自分でも嫌い(許していない部分)だから許して」

要するに、許して欲しいという強い気持ちがあったのです。だからこそ、許される世界を想像した時、心が楽になったんだと思います。

メンタルヘルスや自己啓発系の本には、上の言葉の最後にこう続くことが多いです。「だからネガティブな感情を持つこと自体は悪いことではない」。

許される世界を想像した時、その言葉を本当の意味で理解できたと思います。

まとめ

人によって違うとは思いますが、私の場合は免罪符のように「自分のことが嫌いすぎる」を使っていたと思います。

「自分でも嫌いな部分だから許して欲しい」…と。

それに気付いてからは、じゃあそのまま諦める(受け入れる)のか、それとも改善するために努力するのかを選択することができるようになりました。

人の精神というのは面白いもので、逃げるよりも立ち向かう方が楽になります。それが分かっても、無意識に逃げを選択してしまう今日この頃です…。

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