女性に限らず、男性でも永遠の愛を信じたいですよね。
ただ、世間は辛らつで「永遠の愛なんてない」「結婚は人生の墓場」「男の愛なんて所詮性欲だ!」「自分の親は離婚しているし…」など、まるで永遠の愛はないかのように語る人が多いです。
ここでは、永遠の愛は存在するのか、それとも永遠の愛はやっぱり存在しないのかについて、あらゆる視点を交えながら個人的に考察します。
※愛には色々な形がありますが、ここでは恋人としての永遠の愛をテーマにしています。
そもそも愛とは何?
愛をgoo国語辞書で調べてみると、こんな風に書かれています。
・親子・兄弟などがいつくしみ合う気持ち。また、生あるものをかわいがり大事にする気持ち。
・異性をいとしいと思う心。男女間の、相手を慕う情。恋。
・ある物事を好み、大切に思う気持ち。
・個人的な感情を超越した、幸せを願う深く温かい心。
・キリスト教で、神が人類をいつくしみ、幸福を与えること。また、他者を自分と同じようにいつくしむこと。
・仏教で、主として貪愛(とんあい)のこと。自我の欲望に根ざし解脱(げだつ)を妨げるもの。
引用:goo国語辞書
色々な解釈があり、視点が変わればその意味合いも変わります。
仏教では『執着心』
仏教では、愛は異性やお金、名声などへの執着心として考えられており、煩悩のひとつとしています。
法句経では、愛についてこんな風に書かれています。
愛より憂いが生じ、愛より恐れが生ず。愛を離れたる人に憂いなし、なんぞ恐れあらんや
要約すると、愛することで憂いや恐れが生じる。愛を離れた人は憂いや恐れはないという意味になります。
では、仏教に慈しみのような心はないのか?というとそういう訳ではありません。
一般的にイメージされている愛は、仏教で言う慈悲を意味しています。慈悲とは、他の人の不幸を抜き、幸せを与えることだと考えられています。
そう考えると、慈悲の心を持っている人は、人間として素晴らしいように感じますね。
今でいう『愛』はキリスト教から
仏教が浸透していた時代では、愛の認識は否定的なものでしたが、現代の人は愛というと、肯定的なイメージがありますよね。
じゃあ、今の『愛』のイメージはどこから来たのかというと、それはキリスト教です。
上記でも書いているように、キリスト教では愛のことを他者を自分と同じようにいつくしむこととしています。
また、キリストの愛は無差別(誰にでも)であり、無償(見返りがない)であり、永遠。つまり無限だと言われているそうです。
キリスト教では、愛は3つに分けられており、友情愛のフィリス・性愛や互いのエゴを理解し合うエロース・さっき説明した無限の愛のアガペーとなっています。
人によって若干解釈が違っていることもありますので、一概には断定できませんが、個人的には人を大切にする心=愛だと解釈しています。
愛についてひも解いていくと、実に色々な解釈があって面白く、キリがないので、ここでは一般的に浸透されている恋人を慕い、慈しむ心を愛と呼ぶことにします。
生物学的に愛は4年しか続かない
アメリカの人類学者へレン・E‐フィッシャーの発表によると、『愛は4年で終わる』そうです。
というのも、子どもを産み育てて、乳離れをするまでにかかるのが約4年程度で、父親としての役割が必要なのはその期間だけ。
そしてその期間だけ愛が持続するようになっていると唱えているのです。
私も、この話を聞いた時は「化学で愛を語るのはちょっと矛盾があるでしょ」と思ったのですが、統計をみると信じられない結果が出ていました。
厚生労働省の人口動態統計では、結婚から離婚までの期間が5年未満の夫婦の割合は
・平成21年は33.4%
こうしてみると、愛は4年しか続かないという説もあながち間違いではないのかもしれません…
それでも信じたい!
おしどり夫婦と呼ばれる芸能人夫婦が離婚したり、この二人なら一生添い遂げるんだろうなぁなんて思っていた友人夫婦が離婚すると、やっぱり永遠の愛がないのだと思わされます。
ですが、それでもやっぱり永遠の愛を信じたいという気持ちはありますし、実際幻想でもなければあり得ないという訳ではありません。
離れ離れになっても、歳を取って再会して愛し合う2人、夫が亡くなった日に亡くなった妻(自殺ではありません)などの話を聞くと、永遠の愛はやっぱりあるんだ!と思います。
その話とは関係ありませんが、以下で紹介しているこの記事では、結婚歴50年以上で仲の良い老夫婦3組、どうしていつまでも仲良しなのかについて取り上げています。
公園で手を繋いで高齢夫婦を見かけると、なぜか心がほっこりした気持ちになるのは、きっと私だけではないはず!
それは、自分もそんな風にずっと愛し合えるパートナーに出会い、いつまでも幸せでいたいと思っているからなのでしょう。
私は、諦めなければきっと、そんな人と出会えると信じています。
信じる者は救われるという言葉がありますが、それは信じるだけで救われるという意味ではなく、信じなければ始まらないという意味ではないかと思います。
ですから、私は永遠の愛を信じて生きていきたいです。
永遠の愛を手にするには
愛に気づく
もしあなたが愛に鈍感なら、相手からどんなに愛を降り注いでもらったとしても、ざるのようにスリ抜けて行くでしょう。
そんな風に相手からの愛を感じられなければ、お互いに愛を与え合うことはできなくなります。
一方が愛を与えるのはすごく難しく、言い換えればあなたが愛を一方的に与える続けることはほぼ不可能ということでもあるからです。
ですから、あなた自身がどれだけ愛されているのかを、日々実感するのが大切です。
できれば毎日、相手からどんなことをしてもらったのか、どんな時に愛を感じたのかを、寝る前にまとめてみてください。
毎日が難しいという人は週1でも良いので、定期的に振り返ってみてください。
そうすることで、あなたが愛を返してもらっていることを実感でき、また相手に与えることもできるでしょう。
新鮮な気持ちになれるデートをする
いつもは行かないところに足を延ばして行ってみる、普段は行かないところで食事してみるなど、デートに新鮮さを加えるだけでお互い楽しい気分になります。
まるで初デートかのようなドキドキ感を感じられますので、デートも楽しめますし、いつまでも最初の頃に愛し合っていたお互いの関係を思い出せるでしょう。
もし、いつもと同じところで食事をする場合でも、食べるものや席を変えてみるだけで、新鮮なデートが楽しめます。
家デートでも同じ。普段見ないジャンルの映画を見てみる、たまにトランプやオセロ、将棋など普段やらないことを意識してやってみるというように、少し変えてみてください。
なんでこれがこんなに楽しいの!?というくらい楽しめますよ!
尊敬できる部分を見つける
相手が自分よりも勝っている部分は必ずあります。それを見つけてお互いに尊敬しあうことが、愛を長続きさせてくれます。
真逆な部分でも、お互いに見下し合うこともできれば尊敬し合える関係を築くこともできます。
例えば、考え過ぎるクセのある奥さんと能天気な夫なら、奥さんは楽観的でいつもリラックスしている夫を尊敬し、夫はじっくり考える妻のことを尊敬する。
これって、「もっと考えてよ!」「お前は考え過ぎなんだよ!」となってもおかしくない状況です。考え方一つで、尊敬し合えるのなら、どっちの方が良いのかは言わなくても分かりますよね。
他の夫婦と比較しない
ついついやってしまうのが、他の夫婦との比較です。
「あいつの奥さんすごく優しそうだな、それに比べて…」「○○の旦那さん仕事も頑張っているのに家庭も大事にしているなんて、それに比べて…」。
こうやって考えてしまうと、イヤな部分が次から次へと見えて来て、待っているのは破局です。
愛の形はカップルや夫婦の数だけあります。あなた達だけのベストな形を見つけてください。
今回は少しクサイかなという内容も多かったのですが、愛をテーマにするとやっぱりそうなってしまいます(^^;
中には、私の個人的な意見も含まれていますが、参考にできる部分も多かったのではないでしょうか。
昔、『ココリコミラクルタイプ』という番組でこんなシーンがありました。
自分がまだ想っている元カレの結婚式を見た日の夜、「出会う順番が違ったらあそこに立っていたのは私だったのかな」というナレーションが入り、女性が泣いていました。
かなり昔だったこともあり、うろ覚えではありますが、子ども時代の私の心に響きました。
それって、言い換えればお互い成長した今なら、上手く付き合っていけるかもしれないという意味でもあるかと思います。
永遠の愛を手に入れられるかどうかは、あなたの考え方や行動によるものが大きいということです。
永遠の愛なんてないと思うのではなく、それを信じて努力を続けていきましょう。
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